「ホビット」第3部(3D)  観てきました

 Hobbit 第3部 3D版 、映画館で観てきました。

 昨日の夜、最終確認として原作(もちろん日本語訳だけど)を読み終わって、どこをどう膨らませているのかが楽しみなポイント。

 よくぞ、ここまで、ストーリーと各登場キャラクターと戦闘シーンに肉付けしました! 

 でも、薄っぺらな引き延ばしではなく、3部作の完結編にふさわしい濃さ。しかも、「ロード・オブ・ザ・リング」との整合性や、原作での相互のストーリーの関連性の曖昧な部分を、実にわかりやすく補足している。ストーリー・テラーとしてのピーター・ジャクソンの手腕、あっぱれです!

 

 ストーリーとは、伏線の絡み合いなのです。それが、細部に至るまで、アチコチに張り巡らされているので、今後さらにDVDなどで「ロード・オブ・ザ・リング」と「ホビット」双方を何度も観て、その伏線をチェックしたり発見したりするのが、ますます楽しみになるでしょう。


 欲を言えば、下記の点がやや物足りない。

 1 スティーブン・フライ演じる湖の街の統領の出番が少なく、原作に比べてあまりにもあっさり消えてしまった。この人物の抜け目ない俗物ぶりを、もっと彼にたっぷり演じてほしかった。

 2 第2部に続いて、ビヨルンの位置づけが軽過ぎ! 私の中では、この人物は非常に重要な存在。

 3 大鷲族、ツグミ族、大カラス族が、「ホビット」ではものすごく重要な働きをするのだけど、この物言う鳥達が単純に伝達役や飛行手段に描かれているのは残念。


 こんな点はあるものの、ドラマとしての「ホビット」は、子ども向けに書かれた原作から、壮大なファンタジーとして書かれた「ロード・オブ・ザ・リング」と同じレベルにまで、この映画によって深みと広がりが与えられたと言えます。


 それにしても、ビルボ役のマーチン・フリーマン、惚れ惚れ♡

 最後の最後に見せる表情と目の光、鳥肌です。

 原作「ホビット」では、指輪の魔力は、単に容を消せる魔法の指輪……程度として描かれていて、サウロンとの関連や心の奥の欲望や魔性を引き出す恐ろしさは強調されていません。けれども、映画「ホビット」では、それこそがメインのテーマで、「ロード・オブ・ザ・リング」につながる大切な位置づけ。

「ホビット」でマーチン・フリーマンの絶妙の演技によって命を吹き込まれた3つのシーン(ビルボの表情)、機会があれば、ぜひ見直してください。

 1 第1部 指輪で姿を消し、ゴラムの洞窟から逃げる時。ゴラムを殺す機会を持ちながら、最後に憐憫を感じて殺すのを躊躇するシーン。このシーンが、「ロード・オブ・ザ・リング」の結末にまでつながっていく。(何が重要かって?……「ロード・オブ・ザ・リング第1部で、モリアの洞窟で迷った時のガンダルフとフロドの会話を思い出してくださいね)

 2 第2部 黒い森で大蜘蛛たちに襲われて指輪を落とし、必死で探して見つけたときのシーン。自分の心の魔にビルボが気づく瞬間。

 3 第3部 冒険の度を終えてシャイアの我が家に戻ったビルボ。空っぽの家を片付けながら、ポケットの中の指輪がまだあることを確認した時の表情。


 2と3は原作にはない、見事なクリエーションです。


 ついでながら、最後に、留守中に荒れ果てた袋小路館を片付けるビルボが、床に落ちた女性の肖像画を拾って、壁に傾きながらまだ残っていた男性の肖像画と並べてかけ直すシーン。これはビルボの両親。落ちていたのは母の肖像画。

 「ホビット」の一番最初、ガンダルフがとんでもない冒険を持ちかけて来たとき、安楽と美食と快適さを何より愛するホビット族の中で、歴代、突拍子もない好奇心おう盛な冒険家(変わり者)を出す血筋があり、それがビルボの母方の血統で、ビルボ自身にも間違いなくその血が流れていると「そそのかす」のですが、これもまた非常に重要な伏線になっています。

 最後の肖像画のシーンを観たとき、芸が細かいな~と感服しました。それは、まさに、ビルボが自分の中の血を再確認した場面なんですね。でも、母と父の肖像画をきちんと並べ直すことで、ビルボは、残りのシャイアでの暮らしのバランスをとっていくのです。


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