
ロトルアでの「お花見」をいつに設定しようかな…と、心乱れる時季になりました。
世の中に たえて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし
(在原業平)
(The ninth-century
court noble Arihara-no-Narihira wrote a poem:)
If it were not for
Cherry blossoms in the world,
How peaceful and calm
The heart in spring could be!
この和歌を英訳で読んでも、それは意味の訳であって、桜に心乱れる所以はたぶんわからないでしょうね。
“移ろい”と“無常” ……「諸行無常」は鎌倉時代以降に定着する概念/哲学なので、平安時代はもっぱら 「はかなし」が重要な価値観。そして、「はかなし」は「あわれ」という美学に直結します。「はかなし」も「あわれ」も後代の意味とは違って、むしろプラス思考の価値観も含んでいました。(「あわれ」=「あはれ」は、「哀れ」ではなく、心の奥深~いところでシーンとうけとめる「ああ(嗚呼)~!」という感動から発している)
移ろうことを肯定し愛でる感覚が、日本人の暮らしの感覚基盤だし、四季折々を楽しむ和のライフスタイルが、現代に至るまでどれだけ深く浸透し定着していることか。
桜への執着…わずか2週間程の開花の時季を逃さずに、「今年も桜見物できた」という感覚は、何故か「みそぎ」にも近い心身の清浄儀礼が今年も無事にすんだ、という意識かもしれません。桜の精は、見る者に1年分の“はかなき値”をくれるのでしょうか?
え~っと、話がどんどん深みにはまっているけど(こういう昔の習性がたまに出ます、お許しを)、ほわっと春めいて来たこの頃、桜の咲き具合が気になります。
昨日、センティニアル・パークの桜をチェックしてきました。まだ、並木のうちの1、2本が一分咲き。寒が戻ったり、急にまた暖かくなったりで、予測が難しいけど、今月の半ばから第3週くらいが見頃かな。
「お花見」は、やっぱり、皆でワイワイやりたいもの。ポールと2人で愛でるのはいつでもできるけど、心通う友と分ち合う桜の宴は、格別。観光地と外食産業がメインのロトルアでは、週末に仕事の人も多く、皆の日程を調整するのがものすごく難しいんですよね。そう言う自分たちも、週末にポールの半夜勤があり、週末毎にゲストがあったり……
でも、今年も是非やりましょうね、お花見!